【書名】山水思想
【副題】もうひとつの日本
【著者】松岡正剛
【出版社】五月書房
【出版年】2003年
「もはや体がきかなくなった病床で、横山は「日本の水墨画を完成させないで死ぬのは無念だ。ぼくはもう一度、雪舟から等伯への道程をたどってみたかった」と加山に告げていたという。それから四半世紀、この言葉はいまだに問われつづけている。どこへ、何に向かってか。」文中の横山、加山は日本画家の横山操と加山又造のことである。著者の松岡正剛は、「山水的なるもの」と「日本的なるもの」を読み解く為に、この横山操の言葉にこだわった。「雪舟から等伯」に何があるのか。「僕の考える日本画とは、過去から現代まで続いて来、さらに将来も続いていく「日本」そのものを対象とし、そこに生きているバイタルな現実を忠実に絵画で表現しようとすることを意味し、まさにこれが日本画の伝統だと解釈している。だから遠く縄文時代の土器にもあり、また桃山時代の障壁画の中にもかならず表現されていたものということになる。」横山操の言葉である。
「しかしながら「正法眼蔵」の山水経こそはまさに日本の山水思想の経典となったというべきなのである。こんな山水思想はほかにはなかった。それはもちろん麻布山水とも山水屏風ともちがうし、浄土山水とも垂迹山水ともちがっていた。中国の山水思想ともちがっている。私は本書の冒頭で、横山操が問いかけた「日本画の将来」を、日本の禅が達磨宗から生まれながらも中国とはちがった「日本の禅」になっていった問題を重ねて考えていた、と書いた。まさにそのことが、ここに一気に噴き出したのだ。」
「枯山水は渇水を表現しているのではない。そこに水の流れを聞く。ということは、そこには「涸れることによって水を得る」という思想がうまれていたということになる。」
「「和の山水」は「漢の山水」と隣りあいながらも、そこから微妙に逸れながら生まれていったものなのだ。「故意に何かを仕立てずにおいて、想像のはたらきでこれを完成させる」とは、このことであろう。加うるに、その和様な山水の感覚は「無常」を媒介に生まれてきたものだった。こうして、「想像の負」がいよいよ動いたのだ。」
「いいかえれば、もしわれわれが「方法」を見失っているというのなら、われわれは「山水という方法」の中にいたのだということを思い出すべきではないかということなのである。」
「それゆえすべての山水と山水画は「胸中山水」なのである。」